トップページ > 北山研ヒストリー> 北山研での研究:1999年 1. 岸田慎司さん、北山研第三代助手に着任 助手だった小山さんが退任して寂しくなったが、1999年10月に岸田慎司さんが東京工業大学の特別研究員を辞して、北山研の三代め助手として本学に着任した。岸田さんは芝浦工業大学の上村研究室の出身だが、大学院では東工大・林静雄研究室に所属してそこで博士の学位を取得していた。上村先生はRC柱梁接合部研究の先輩にあたるので、その研究室出身者が私のところに来たことに、何か因縁めいたものを感じた。ただ岸田さんは柱梁接合部を研究していた訳ではなくて、RC杭で学位論文を書いた。 この年、森田真司さんが博士課程に進学し、北山研初の博士課程の大学院生となった。森田さんは、修士課程のときから一貫してRC柱梁接合部のせん断抵抗機構について研究しており、その意味では北山研の王道を歩んでいた。修士課程には、卒論生だった白山くんと細野くんとの2名が進学した。 もうひとつ特筆すべきは、卒論生が北山研史上初の4名になったことである(この記録は2009年度および2010年度とタイであり、まだ破られていない)。それも全員がそろいもそろってB類の学生であったのだ。B類とは、首都大学東京になったときに廃止されたのでご存じない方もいるだろうが、夜間主コースのことで卒業までに5年を要する学部課程のことである。当時のB類の定員は10名であったから、そのうちの半数近くが北山研に来たことになる。もともと北山研にはその創立当初からB類の学生さんが多かったが、これには我ながらビックリ、である。 こうして男ばかり揃った9名のメンバーは以下の通りである。 助手 岸田 慎司(きしだ しんじ) 1999年10月より 2. 科研費採択と悲話 1999年度には、西川孝夫先生を代表とする科研費・基盤研究Bが採択となった。タイトルは以下の通りで、三年間の研究である。 「多次元外力下でのRC柱および柱梁接合部のせん断破壊過程の究明とその防止設計法」 このテーマでは過去2回応募して、その都度不採択となっていたのだが、3度めの正直の今回、タイトルや内容をさらに精査したかいがあったのか、めでたく採択された。しかし本音では、研究の計画自体はほぼ同じであったので、科研費でも審査委員が変わるとこんなことがあるのか、とビックリしたものである。なおこれ以降、西川先生を研究代表者として、RCやPCの柱梁接合部をテーマとした科研費(基盤研究B)をたて続けにいただくことができた。研究申請書は、もちろん私がその大部分をうんうん唸りながらひねり出したが、それでも西川先生のお陰で潤沢な研究費を確保できた。私の好きなように研究させていただいた西川孝夫先生には、いつもながら感謝している。 嬉しいことは重なるもので、橘高義典先生を代表とする科研費・基盤研究B(展開研究)も同時に採択となった。タイトルは以下の通りで、同じく三年間の研究である。 「次世代型鉄筋コンクリート構造への高靭性コンクリートの応用」 こちらは橘高さんとともにそれまで暖めていたテーマであり、ビニル短繊維をコンクリートに混入してコンクリート自体の靭性を向上させることによって、RC部材のせん断抵抗機構に寄与させようという研究である。このような構造を“次世代型RC構造”と呼んだわけだ(ちょっとおこがましいですが)。 しかしこちらの方は、実は手放しでは喜べない悲話があったのである。この科研費の申請では橘高義典さんを研究代表者とし、私と土木・コンクリート研の大賀宏行助教授、それから橘高研助手の小野山貫造さんの3名を共同研究者としていた。建築と土木、材料と構造、という異分野のコラボレーションをウリのひとつとしたのである。ところが採択が決まるまでの半年ほどのあいだに、小野山さんと大賀さんとが相次いで急死したのである。二人とも体格も良いスポーツマンであったので、どうしてそんなことになったのだろうか。 この年には自分の科研費(基盤研究C)も継続していた。予算は、西川科研が1270万円、橘高科研が440万円、北山科研が260万円で、実験用備品を購入したり試験体を作ったりと費用がかさむのは事実だが、気分的にリッチな一年であった。 1999年8月17日午前3時(現地時間)に、トルコのコジャエリ(Kocaeli)県ギョルジュク(Golcuk)付近を震源とするマグニチュード7.4の地震が発生した。トルコでは、鉄筋コンクリートの柱梁フレーム内に中空煉瓦を積み上げて壁状にする建築様式が一般的なのだが、そのような構造の低層から中層の集合住宅が多数倒壊した、という情報を得た。そこで日本建築学会では被害調査団を派遣することになり、東大地震研究所の壁谷澤寿海先生を団長として参加者を募り始めた。私はそれまで海外での地震被害調査には行ったことがなかったことと、親分の壁さんが行くのだから参加するのは当たり前だろうくらいの感覚で、1999年9月6日から15日までの10日間の日程で参加した。 調査をどのように進めるかという方針の決定、現地の大学や役所との折衝および調整、調査時のバスの手配やこまごまとした配慮など、全ては団長の壁谷澤先生が取り仕切った。日本を遠く離れた異国の地で、さぞ大変だったことと思う。そのうえ多くの調査団員や現地の学生さん達に御馳走したりして、お金も掛かったことだろう。そのご苦労には本当に感謝しています。私にはとても団長は勤まりません。 われわれはトルコの首都・イスタンブールにあるスイス・ホテルという日本人がよく泊まる、高級ホテルに宿泊した。ここには和食のレストランもあり、べらぼうに高かったが味噌汁の誘惑には勝てず、何度か行ったと思う。しかしここから被災地のアダパザールやギョルジュクまでは車で片道2時間程度必要であり、毎朝早くバスで出発した。現地では、とにかく水の確保が重要であるから、ホテルのレストランで朝食をとるときに、入り口に置いてあるミネラルウォーターのペットボトルを数本ゲットするのが日課となった。 ホテルを出発したバスは、まずボガジッチ大学の正門前で被害調査に協力してくれる現地の学生、大学院生や若手教員を乗せてから、ボスポラス海峡にかかった長大な橋を渡って、猛スピードで東へと向かう。そのあいだ車中で、壁谷澤団長や“ジン・タナカ”こと田中仁史先生から当日の調査内容や注意事項の説明を受ける。もちろん英語である。トルコ人にとっても英語は第2外国語なので、ネイティブと話すときよりは気楽だし、また聞き取り易かった。 現地に着くと幾つかのグループに分かれて、担当地区の全数調査や個別建物の詳細調査を行った。私は大成建設の金田さんとトルコ人のハカムさん(どこかの大学の助手だったと思う)との三人で活動した。建物一棟ごとに構造、階数、建設年、被害ランクなどをメモしてゆくのだが、建設年などは地元の人に聞かないと分からない。そこでハカムさんが住民の人達から必要な情報を聞き出し、それを英語にして我々に伝えた。トルコの人たちは総じて親日的(注)で、被害調査をしていると「チャイ(トルコの紅茶)を飲んでいけ」、「果物を食べてゆけ」と声を掛けてくれる。しかし我々調査団は風土病に感染することを恐れていたので、申し訳ないとは思うもののそのような好意に応えることは出来なかった。 被害調査をしていて、至る所に掲げられたトルコの国旗とケマル・パシャの写真、夕方になると流れてくるコーランの響き、などが特に印象に残っている。 (注)トルコの人々は、トルコから見たらはるか極東の地にある日本になぜ親しみを感じるのか。一説では、トルコとロシアとは歴史的には敵対関係にあったが、20世紀の始めに日本が日露戦争に勝って、共通の敵であるロシアを打ち負かしたからである、と言われている。その記憶が20世紀末まで持続されているとも思えないがどうであろうか。 さて、トルコでの地震被害調査を何とか無事に終えて帰国した。しかしその3、4日後に建築学会大会があり、『鉄筋コンクリート構造の性能設計と各種限界状態』と題したパネルディスカッションで、柱・梁部材の力学性能の評価について発表するように主査の壁谷澤先生から言われていた。そのためのOHP(当時はPCによる発表はまだ一般的ではなかった)作りが大変だったことを憶えている。どうせトルコから帰国したら、被害調査報告書の作成やら何やらで時間を取れないだろうことは予想していたので、トルコに出かける前に出来るだけ発表用の資料作りをしておいたことが大いに役立った。 4. RC十字形柱梁接合部内主筋の付着・定着性能と接合部パネルのせん断破壊性状 M2の田島君と卒論生の奥田君とを担当者として、主筋の付着・定着状況を変数とした平面十字形柱梁接合部試験体4体に水平力を正負交番載荷する実験を行ない、接合部の破壊性状および力学特性を検討した。前年度の森田君の実験によって、柱梁接合部パネルの破壊には、通し配筋される梁主筋の接合部内付着性状に起因したせん断伝達経路の変化が重大な影響を与える、ということが明らかになったためである。 1) 最大層せん断力は接合部内梁主筋の付着が絶縁されることによって11% 低下し、接合部内柱主筋および梁主筋の両方の付着が絶縁されると21% 低下した。 2) 梁主筋の測定ひずみから求めた接合部入力せん断力は増大し続けた。繰り返し載荷によって接合部パネルのせん断損傷が累積するため、接合部内柱・梁主筋には層せん断力零時において弾性の残留歪みが生じた。このことから接合部パネルの水平および鉛直方向の変形性状が、接合部のせん断挙動に重大な影響を与えると考える。 3) 接合部内主筋の付着が良好である場合には、接合部パネルの最大・最小主ひずみはともに引張りを呈し、層せん断力は増大した。付着力によって接合部パネル内に斜め圧縮応力場が均一に形成されるために、耐力が増大したと考える。これに対して、接合部内主筋の付着が劣化した場合には、パネル内の斜め圧縮ストラットに圧縮応力が集中し、パネル中央のコンクリート圧壊が生じたため、主筋の付着を絶縁した試験体の耐力は小さかった。 4) 接合部内梁主筋量を増大させた試験体では、梁主筋に沿った付着劣化は生じなかったにもかかわらず、接合部パネルのせん断破壊が発生し層せん断力が低下した。 2000年のJCI年次大会に投稿して採択された田島君の論文は、その年の優秀論文賞を受賞したことを付記する。 5. 鉄骨ブレースで補強して全体曲げ破壊するRC骨組の挙動解析 6. 三方向地震動を受けるRC骨組の変動軸力に関する研究 軸力の変動によってRC柱のせん断性状がどのように変化するのかを、静的実験やFEM解析によって今まで検討してきた。だが、地震時にRC柱の軸力がどの程度変動するのかについては、正直なところよく分からなかった。先行する研究として楠浩一さん(東大生産技術研究所の岡田研で博士を取得/現在は横浜国大准教授)の博士論文があったのでそれを参考にして、CANNYによる立体骨組の三方向地震応答解析をやってみようと思い立った。 7. RC柱梁接合部の破壊性状に関する非線形FEM解析 十字形のRC柱梁接合部パネルの破壊機構として、X状の斜めせん断ひび割れによって四分割されたパネル部分で柱および梁部材が剛体回転し、接合部内の接触部分のコンクリートが圧壊することによって曲げ破壊する、という力学的マクロ・モデルが塩原さん(東大)によって提案されていた。そのような変形モードが本当に生じるのだろうか、という疑問があったので、塩原モデルの妥当性を非線形FEM解析によって検討することにした。 1) 解析における層せん断力-層間変位関係は、外柱梁接合部では最大強度まで実験結果を良好に追跡できたが、内柱梁接合部の最大強度は実験値の85%であった。十字形およびト形の柱梁接合部パネルとも柱・梁主筋が降伏することなく、接合部パネルのコンクリートが圧壊して単位架構としての耐力に達した。 2) 外柱梁接合部パネルにおいて柱主筋の付着を絶縁した解析では、接合部パネル内に形成される圧縮ストラットの幅が狭くなり、局部的なコンクリートの圧壊が生じたため、最大層せん断力は実験時のおよそ半分になった。 この年度の研究成果は、以下の論文等で発表した。 (1)PC柱・梁接合部の力学特性と設計の考え方 (2)RC内柱・梁接合部の破壊と柱・梁通し筋の付着性状との関係 (3,4)鉄筋コンクリート骨組内の接合部破壊と主筋付着性状との関係(その1、2) (5)鉄筋コンクリート造外柱・梁接合部のせん断性状に関する有限要素解析 (6)鉄骨ブレースで補強された鉄筋コンクリート骨組の全体曲げ破壊に関する解析研究 (7) Influences of Beam and Column Bar Bond on Failure Mechanism in Reinforced Concrete Interior Beam-Column Joints (8)地震防災の事典 (9)トルコ・コジャエリ地震の建物被害調査の抄録
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